株歴30年生の雑感ブログ

株式相場と資産運用と転職の雑記ブログかな

MENU

パラリンピック良かったですね!

おはようございます

 

早いもので、今年も9月になりました。

一般的には中間決算を迎えるところが多いですから、今月は皆さん忙しい毎日を過ごしていらっしゃいますよね。そんな中テレビではパラリンピック中継をしていますが、やはりパラですと今ひとつ関心度が低くなります。そうこうしている間に昨晩でパラリンピックも閉会式を迎えてしまいました。日本勢はというと、これがまたメダルラッシュとなりました。リオパラの時の倍近いメダル数のようですね。選手の皆さん、そして選手に寄り添ってこられたコーチその他の皆さん、あとは大会関係者の方々、大変お疲れ様でした。そして大会を支えてくれたボランティアの皆様と合わせて感謝いたします。

 

それにしても、部分的にしか見れなかったのですが、パラリンピックというのは障害のある方々の大会なわけですが、その障害レベルによって区分けと言うか階層訳のような感じになっているんですね。まぁ確かに同じ競技でもそれぞれの状態は微妙に、もしくは明確に違っている事もありますもんね。そう考えると我々健常者はある意味幸せなんですね。そういうと障碍者の方々が不幸のように聞こえてしまうかもしれませんが、決してそう言うことを意味した話ではなくてですね、今の自分が今、普通に暮らしていれるという事が当たり前過ぎて、その事に対しての幸福感や感謝の気持ちと言うのが見えなくなっていたなぁと思ったわけです。

生まれつき、つまり先天性の何かしらの障害をもって生まれてきた方からしたら、例えば右腕が無いとかだった場合は、実はそうやって生まれてきたので、それ自体は不自由ではなく、そういうものとして生活していけると網んです。もちろん成長するにしたがって自分が他人とは違うという事を分かってきます。そうした事で不幸な感じになる事もあるのかもしれません。しかし、生まれた時からであればそれがその人であり、その体で生きて行く事が普通のことだと思うんです。むしろ何某かの要因で腕を失くしたとか、失明したとかの方が精神的にも肉体的にも厳しいと思うんですよね。昨日まで、さっきまで見えていたものが、真っ暗でしかない世界・・・想像しただけで気が変になりそうです。

そうした困難を乗り越えてパラの世界で活躍しているのは、考えようによってはオリンピックで競技している選手よりも凄い事をしているのかもしれません。だって音だけが頼りとか、でどうして運動が出来るのか不思議でなりません。例えば目が見えなくなったら耳が通常よりも鋭敏になるのでしょうか。よくは分かりませんが、そんな風に見えますよね。これからもスポーツだけでなく一般の生活をそうした障害と共に生きて行くということは、私たちのような健常者からしたら想像を絶する話ですよね。というか、絶対的には自分がそう言った立場にならなければ本当の理解は難しいと思うんです。

そんな事を思いつつ、自分自身や最近の世の中の事を考えると、どこかおかしいような、何か違うような感覚に襲われるんですよね。もう少し言いますと、何が普通で、何がまともな事で、何が正しくて、何が間違いだったり悪だったりするのかが判然としないと言いますか、分かりにくくなっているような気がするんです。

我々は大雑把には「健常者」といっていますが、果たして本当に健常者なのかとかね。

手足があって五感が機能していれば、五臓六腑も問題なく、精神的にも止んでいるということはない状態が一般的に健常者と言っているのだと仮定すると、大体の人はその部類に入りますよね。しかし、一緒に100メートル走したら10秒を切る速さで走れる人もいれば、30秒くらいかかってしまう人もいる。42キロを2時間で走れる人もいれば、高血圧でそもそも激しい運動を控えないといけない人もいる。これって屁理屈的には違いですよね。100mを10秒以内で走れる人からしたら20秒かかって走れない人はなにかおかしいんじゃないかって思うかもしれません。健康診断で毎回何かに引っかかる人を見て、健康優良児はきっと「なんで?」って思っているかもしれません。そう考えると、個々の人間が普通とか普通じゃないとかって思うのはその人の価値観や相対的な評価によって決まっていると思うんですよね。そして人間は別に100mを10秒で走れなくても特に問題ないですし、泳げなくても高く飛べなくても、吊り輪あん馬が出来なくても、生きて行く上で何の支障もないですよね。

そう考えると、パラリンピックやオリンピックって何なんだろうと思う事もあるんですよね。否定しているんじゃないんですよ、だって見れば面白いし感動もするし。止めろとかじゃないんです。人間がその運動能力の限界に挑み、限界を超えて行く。これって凄い事だと思うんですよ。そういう風に普通に思う反面、「だから何?」って思う瞬間もあるんです。なんで人より早く走れると金メダルがもらえて、それからの人生がもの凄く開けていく事になるんだろうかって思うんですよね。メダリストになった人を僻んだり貶めたりする気は毛頭ないんです。無いんですけど、単純に疑問なんです。

 

だってただの違いじゃないですか・・・

 

人はみな違うんですよね、同じ人は一人としていない。そう考えると、早く走れる事、高く飛べること、遠くまで跳べること、速く泳げること・・・などは何故人生が変わるくらい評価されて尊敬されるんだろうって思ってしまうんですよね。子供の頃、単純に人より速く走れたら嬉しかったし、逆に抜かれると悔しかったことを覚えています。人間が動物である以上、競争心や闘争心があり、誰かに勝ちたいとか誰にも負けないとかっていう気持ちがありました。今でも競争しているのと同じなのかもしれませんが、オリンピックを見てパラリンピックを見てってやると、競う事の意味も分かるのですが、もしかしてそれって褒めてあげればいいだけなんじゃないかって思っちゃったんですよね。世界のトッププレイヤーが一堂に集まり世界一を競う。特に男子100m決勝なんて興奮しますよね。それで良いのかもしれません。でもそれだけじゃダメなんですよね。栄誉だけじゃダメなんですよね。報奨金だけじゃなく、その後の人生においても違ってきますもんね。

 

何だか何を言っているんだかって感じになってしまいましたが、パラを見ていると、冷たい言い方になるかもしれませんけど、障害を持つという前提の中では凄いという事になるんですが、健常者から見たら記録としては当然大したこと無いってなります。そうすると分かってはいるんですが、あまり見ないと言うか。関心が湧かないんです。逆にそんなに頑張らなくてもって思ったりもしてしまうんです。何となくなんですが、これまではそういう風にまでは思っていなかったんですが、今年から明確に自分の心はそう思っているって自覚したんですよね。自分の中で何かが変わったのかな・・・?

これまでの思いは想いでありつつ、それとは違った見方をするようになり、しかもそれに対して違和感がない感じなんですよね。ついに頭がおかしくなってきたのかな(笑)

それとも元々頭が悪かったんだけど、そう自覚できたってことなのかな・・・?

 

まぁちょっと変な感覚なんですけど、それもこのコロナがもたらした現在の社会がそうさせているのかもしれません。今までとは違う世の中になり、世界は変わったと言われています。でも一方で普段の生活は言うほど変わってはいません。毎日マスゴミが感染者とワクチン報道ばかりだって言うことくらいでしょうか。世界は毎日少しずつでも変化しているんだから当たり前なのかもしれません。

 

もっと色んな事を学ばなければいけないようですね。

 

さて、肝心な株式相場ですが、一国の首相が辞める選択をして株価が上昇するというのもおかしな話と言えばおかしな話とも言えます。散々マスコミは政権を批判ばかりしていましたが、安倍さんからの急ごしらえとしてはよくやった方なんじゃないかと私は思っていました。確かに足らない点はあったかもしれませんが、多分誰がやっても同じような結果になったと思います。それをやめるとなったら株価が上がるって、どんだけなんだっていうこと。

 

しかしそうは言っても日米とも株価は今後も暫くは堅調に推移していって欲しいというのが私の切なる思いである事も事実です。理由はともあれ上がり続けてくれることが何よりも求められる事なんですよね。

なのでまた今月も期末に向けて一段高となってもらいたいものです、それでは。