おはようございます
昨日の米国株式市場は休場でした。
NY株式市場はキング牧師誕生日の祝日でお休みでした。
アメリカ公民権運動を行った方で「I have a dream」という言葉が有名な人。
アメリカにまだ人種差別が漫然としてあった頃の話ですね。
未だに人種差別はあるようですが・・・
日本も「上級国民」と「下流国民」に分かれるようですね。
本当なんでしょうか?
確かに所得格差から生まれる様々な違いはあります。
教育すら満足に受けれない人から、1枚100憶円の絵画をポンと買う人。
この世の中で成功した人とそうでない人、当然ながら成功者が少数、大多数が富裕層ではない人々。
人間みな平等に生まれて来たはずなのに、なんだこの違いは?
大人になってわかる世の中の「違い」。
それでもまだ家族をもってマイホームも持って、何とか大過なく勤務先を勤め上げ、年金で贅沢は出来ないが働かなくても生きていける。
子供や孫が訪れてくれば、一緒に食事をし孫に小遣いくらいやれる。
そう言う人が普通だとすれば、まぁそれはそれで良いのかもしれない。
しかし、大した収入も得られず、毎日毎日遅くまで働き、休む間もない。
その分何か幸せになれるものを持っているのかと言われれば、特になし。
生活するのが精一杯で、旅行はおろか近所のスーパーで買い物するのだって、考えながらしなきゃならない。
なんて暮らしだったら、やっぱり不公平を感じる人だって多くなるでしょう。
若い人でも生活ができなくて苦しんでいる人もいる。
スピリチュアル系の方々は一様に言う、「心」の持ちようだとね。
本当にそうだろうか?
疑ってばかりでも埒があかないが、心だけでもないのかなとも思う。
しかし、上級国民とはよく言ったものである。
例のプリウスを運転し死傷事故をおこした老人からこの言葉がクローズアップされました。
事故としては相当重いものでしたが、警察・検察・マスコミの対応に批判が噴出しましたね。
他の容疑者と呼びかたからして違う。
国民の大多数が違和感を覚えたと思います。
ネットを見ると、上級国民の方が起こした事件・事故は報道もされなければ、逮捕すらされていないものもあると書いている人がいます。
本当なんでしょうか?
どの社会でも特権階級のようなものはある。
人間は他の人よりもより豊かな生活や人生を送りたいと思う動物。
だから、差別化をはかる。
現代の社会でも色々な国や地域で貧富の差は厳然としてあります。
でもそれをダメだと言ったところで何も変わらないですよね。
そしてそうした事があるから、そういう社会だからこそ、自分の才覚や感性、努力によって逆転も十分にあり得ることになる。
まだ若かった頃に読んだ漫画で覚えているセリフがあります。
「人を羨むな、人を羨むということは自分を否定するってことだ!…(中略)…他人は他人、自分は自分! 人生すべての答えは己の中にあるんだ!」
みんながそうやって強くなれれば、自分を持てれば、上級とか下級とかそんなものは言葉遊び程度の話になるんだろう。
相場も同じ。
人は人、誰かがやった方法などがやたらと紹介されたりするが、自分にとってそれが良いかは分からない。
お金が絡む以上、より厳しい自制心や洞察力が必要なのかもしれない。
ひょっとすると、株取引が考えなくても簡単に出来る人もいるかもしれない。
じゃあ、自分はどんななんだってこと。
自分に合った方法でやればいい話ですね。
また取り留めのない話になってしまいましたが、私は日本株の上昇をただ待つのみです。
だって上がりますから‼️