株歴30年生の雑感ブログ

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米国株は反発だ!

おはようございます

 

昨晩の米国株式市場は反発となりました。

NYダウ    +179.08   36100.31

NASDAQ      +156.68          15860.96

S&P500        +33.58              4682.85

VIX指数        -1.37                     16.29

原油                -0.87                     80.72

為替                                         113.91

 

消費者物価指数で下がった株価は一応金利高にもめげずに反発してくれました。米国の強さはこうしたところに現れますよね。金利も上げ気味だったのですが、米中間で少しだけでも歩み寄りが見られた事で安心感も株価上げに繋がったのかもしれません。一方で、ドルが安めな事から米国経済のスタグフレーション化を懸念しているといった見方があるようですね。しかし、この話は少し的を得ていないのではないかと思うんですよね。というのも、株が上昇している、特にNYダウが上がる際には景気が良いという事が材料視されてますよね。逆に景気にかげりの見られる統計などがでた時は株式市場は調整しています。まぁ何でも一律にかつ同時に物事が動くわけではないですからね、株式もその時の感じでもって動きますから材料視される時はされますが、無視される時も多々あります。そう考えれば何に反応したかで今がどの様な相場なのかを理解するといった考え方を持たないといけないという事なんですよね。簡単に言えば、上昇相場のときは良い材料にはよく反応しますが、悪材料に対してはあまり反応しないとかね。そんな単純でもないのでしょうが、そうしたことを感じとる能力の高い人は危機管理能力が高いと言えるのでしょうね。だから、よく「KY」とか言ってたじゃないですか、「空気読めない」っていう意味のね。そう言う人はそうした人間同士のその時の状況に応じたその場の雰囲気を感じることが苦手な方という事になります。これって株式も同じなんですが、訓練すればある程度は分かるようになります。という事はKYな人と言うのは人づきあいが浅い人が多いという事なのかもしれません。もっと人と会話したり交わったりする機会を多く持つことで訓練になるのではないでしょうか。人間はコミュニケーションの動物って言われますよね。誰かと関りを持たない訳にはいかないのですね。でも上手く行かないから疎遠になり孤独になって行く。そうなって暫くは清々して良いのでしょうが、そうして人と話さなくなったり関わらなくなってくると精神的にはどんどん内向きになってしまいます。それがダメなのかって言えば、他人様に迷惑をかけるよりはマシと言えるかもしれませんが、実は人間はお互いに誰かのお世話になっていかざるを得ない生き物なんですよね。特に現代のように人口が増大し、1人ですべてをまかなう事が困難な時代においては尚更なんです。一見矛盾しているようですが、単純化や極論で考えると分かりやすいです。例えば無人島で一人とかね(笑)生きていく為の全てを自分一人でこなさなくてはなりません。つまりは衣食住の確保や他生物から身を守ることなどです。逆に他人がいないので誰かを気にして静かに過ごすとか、着るものに気を遣うとか、清潔でいなきゃいけないとか、いわゆる「人の目」を気にしなくても良くなります。多分男性ならばいずれ髭は伸ばし放題、女性も化粧などしなくなることでしょう、まぁ楽は楽ですよね。しかし、誰とも会話をしなくなると人間は言葉を忘れて行くそうです。人間は考える動物ですが、それは言葉を前提としています。その言葉を忘れてしまうという事は思考力も低下するという事を意味するのではないでしょうか。生きていく為に逞しくなるかもしれませんが、思考力を維持するためには無人島に本などを持って行くか、独り言を意識して話すかしないとダメそうですよね。

この状況って、1人暮らしをしている方の中にも当てはまる方はいるんじゃないでしょうか。周りに人は沢山いても自分とかかわりあう人はいない的なね。無人島であれば仕方ないですが、話そうと思えばいくらでも人はいるのに、朝起きてから夜寝るまで誰ともしゃべらない・・・そんな暮らしを続けていたら精神的にはおかしくなってしまいますよね。株式も多分同じなんじゃないかって思うんですよね。PC性能が向上しネットのインフラが発達したおかげで部屋に閉じこもっていても株式市場をリアルで見ていられる時代になりました。誰とも話さなくとも相場を見る事は出来ます。株式の取引をしている間だけ一人で集中するというのは別にいいんです。そうではなくて、一日中人と関りを持たないというのはやはり良くないという事だと思います。そもそも株式市場は多くの人間の意思が働いているところでもあります。そうした意思の集合体である株式市場に対して自分一人で対応し続けるというのも無理があるような気もするんですよね。かといって、一緒に相場をやるということは無いんですよね。ここら辺はある意味不思議な処なんですが、そうした曖昧さというものがあるところは人間という生き物の特徴でもあり、良くも悪くも単純ではないものだという事なんですよね。何だか話が精神的なことになってしまいましたが、たまたま見たんですよね、このコロナ禍によって若者の自死が増えているという話をね。コロナ禍でリモートや在宅が増えたっていうじゃないですか。でもそうした人たちってまだオンライン上とは言え仕事に従事して忙しくされている方々なので左程問題は無いんです。もちろんそればかりだとやられてしまいがちではありますが。それよりも仕事からあぶれてしまった、もしくは学生さんでビデオやズームでの遠隔授業しか出来ずにいる人なんかに多いと言いますよね。これってみんな孤独から来ると思うんですよね。そんな孤独感を持っている人達もネットは見れるし見ているんだと思います。でもSNSとかってみんな匿名じゃないですか。フェイスブックは実名ですが、それって自分も実名という事なんでおいそれと何でも誰とでも関われないですよね。となるとやっぱり心から話せる人ってそんなにいないし、下手をするとここでも攻撃を受ける側になりかねません。昔、まだ通信インフラが未熟だった時代は否応なしに隣近所との付き合いはありました。近所のおじさんやおばさんからよく怒られたものでした。私が子供の頃はまだそういう時代でした。だから自分の子供が悪さして怒られた時に親は子供を叱りました。自分の子供を叱った大人に文句を言う親なんていませんでした。今は違いますよね。子供が悪さをしても見て見ぬふりを決め込みます。何故か?親が文句を言ってくるからです。うちの子に余計な事すんなとか、お前に関係ないだろとか、うちの子は悪くないとかいう馬鹿親が増えたためです。関わり合いが多いことの良い点もあれば悪い点もあるのですが、言えることは自死される方の数は今の方が多いという事実ですし、それも若者が増えているという事です。この2年間でコロナでお亡くなりになった方もいらっしゃいますが、事実上コロナでダメになってお亡くなりになった方も多いと思うんですよね。そういった人たちはどうしたら死なずに済んだのか、コロナだけが要因ではないでしょうが、個々人が隔離されがちな世相でしたよね。孤立感や孤独感に悩まれている人が多いと思うんですよね。でもこれって、簡単じゃないと思うのですが、例えば「お金」が沢山あったら死ななかった方は結構いたんじゃないかなって思うんですけど、どうでしょうか。若い人が取り敢えず1000万円くらいあって、遊びに行くのも良し、ただ飲みに行くのも良し、旅行に行くのも良し、何か欲しいものを買うのもよし、何でも良いのですが自分にとって嬉しいと思えることに対してお金の心配をしなくても自由にできたらどうだったのかなって思うんですよね。もちろんお金が全てではないということは十分理解していますし、享楽的になれといっているわけでもありません。しかし、お亡くなりになった方の多くでお金の心配や生活の心配をされていたのではないかと推察するんです。お金が十分にあれば、もっと違う生活でやっていけたって人もいたのではないかなってね。精神的に追い込まれる例としてお金に困っている場合があげられます。「この世はお金だけじゃない」と言えるのはお金を持っている方です。現実に何かの支払いにも困る、もしくは明日のご飯にも困ると言う方にとってはお金が全てになります。お金さえあればそのような心配は不要だし、お金のことで悩むことも無くなります。それだけでどれだけ救われる事でしょう。人の悩みはお金だけではないですが、まず好きな人と付き合おうとしたってお金がなければ付き合えません。友達を作ろうにも最低限かかるものはかかりますよね。そして社会的なお付合いだってゼロ円と言うわけにはいきません。そんなんなるまで追い込まれるからダメなんだって言われるかもしれませんし、それももっともなことです。しかし、誰しもそうなりたくてなっているわけではありません。何かしら要因があってそうなっているわけですが、極論としては、お金があれば相当部分において死なずには済むと言えることです。暗い話になっているようですが、今の世の中って分断化が進んでいるとも言える世の中になってきています。心のケアは人間にとって大変重要であるとともに、同じくらいお金をある程度持っているというのも安心感に繋がると思います。そんな事を考えつつ、資産運用をしていることの是非と言いますか、本来のお金の意味と言ったものを考えてしまう今日この頃なんですね。世界の株式時価総額は既に「兆」の単位を超えて「京」という単位になっています。「京」は「兆」の1000倍です。1億円すら持っていない人が日本国内の大半を占める中、その1億円が「カス」みたいな金額です、だって1億円の100万倍ですから。株式だけでそういった金額になっているわけです。株式資産で1億円以上保有されている方と言ってもその内容は様々です。少額から持ち始め運用で築き上げた方もいれば、相続で棚ぼたな方など色々です。でも大半の日本人は1億円も株を持っている人はほとんどいません。預貯金でもほぼほぼ同じだと思います。多分1000兆円前後の金額が日本全体で預貯金として眠っていますが、1億円以上の預貯金を持っている方はほとんどいません。つまりは富の偏りがもの凄いという事ですよ。そんなこんなに思いを馳せているのですが、そうなると今回知った仮想通貨のWEB3.0はやはり革命的な変化をもたらすのではないかって少し思えるんですよね。まだ分からないことだらけで確信を持ってお伝え出来ないところもありますが、自律分散型のシステムが不正すら出来ない、管理者が中央で権力を持つ構造に出来ないというのがとっても刺さります。もっと勉強したら「実はね」ってことになってしまうのかもしれません。しかし今はこのやり方が人々に公平感ある社会システムを実現できるツールとなるのではないかって密かに思っているんです。大分話が長くなってしまいましたが、そんなことを色々と考えてしまう年頃なんです(笑)

秋晴れが素晴らしい日となりました。でも今日は日向は良いのですが、気温が低いです。どこかへお出かけも良いですし、食欲の秋、味覚の秋ですから美味しいものを食べに行ったり、紅葉を見に行くにも良い天気です。折角の週末ですから太陽の日を浴びて心身ともにリフレッシュしてまいりましょう、それでは。