株歴30年生の雑感ブログ

株式相場と資産運用と転職の雑記ブログかな

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米国株は最高値なんだが・・・

おはようございます

 

 

昨晩の米国株式市場は続伸となりました。

NYダウ   +297.03    33800.60

NASDAQ     +70.88            13900.19

S&P500       +31.63              4128.80

VIX指数       -0.26                     16.69

原油             -026                     59.34

為替                                       109.63

 

 

米国株はまたまた最高値更新ですね、いやいや驚くばかりです。

 

ま、嬉しい限りなんですが、もっと資産家だったらこの何年かでどのくらい資産増となったのかって思いますよね。

 

株価が上がってくれることはわたくしの資産もそれ相応に増えてくれますが、それこそ雀の涙ほどのお金の話ですから・・・

 

ホントこのコロナ禍で直接的な被害に遭っている方はお気の毒としか言いようがありませんが、逆に資産家はそれこそぼろ儲けのように資産を増やしています。

 

別に善人面するつもりは全くありませんし、善人ではないので綺麗事を言うつもりもありませんが、世界的な所得格差は極めて深刻さを増しており、そろそろその是正をしていく必要があるのではないかって思います。

 

人類がみな同じであるとまでは言いませんが、富豪の家に生まれた子と、最初から貧困家庭に生まれた子や戦火の中に生を受けた子とか、何かしらの障害をもって生まれた子とか、どこで生まれたかでもの凄い「差」がありますよね。

 

世の中のせいではない部分もありますけど、せっかくこの世に生まれてくるのですから生まれてきた子供たちがみな幸せになれるような環境になってもらいたいですね。

 

でもこの世はみんな同じじゃない。

むしろみんな違う・・・

 

顔が違う、色が違う、体格が違うと言う外見上の違いだけならなんの問題もない。

 

問題なのは一言でいえば「お金」ですよね。

 

総論で言えば、自分はもちろん、みんなが幸せに、ある程度自由で健康に過ごせたらそれで良いという事に反対の人はいなはずです。

 

最初から自分さえ良ければ他人が不幸になっても構わないと思って「生まれてくる」人間はいないですから。

 

生まれてきて、人生がスタートして、様々なことを経験させられる中でその人の性格や人格が形成されてくるわけじゃないですか。

 

やはり生まれて育って行く過程で人格は形成されることを考えると、子供の教育と言うのは親だけの問題ではありませんね。

 

そう考えると様々な思いが浮かんできます。

 

この度初孫が生まれるのですが、コロナ禍や先の米大統領選挙での不正などを見て鈍感な私もさすがに「おかしさ」に気が付かされたわけです。

 

聖人君子でもない私が、人の欲について云々と語ったところでなんの効果もない事は百も承知ですが、今の世の状態は人の世の異常性がかなりハッキリと見えてきたと思っていて、そんな世の中にあって生まれてくる子供たちはこれからどんな世を生きて行かねばならぬのかと一人心配になっているわけです。

 

当然ながらこの50年生きてきた私にも何某かの責任はあると思っていますが、何の権力も持ち合わせない者にとっては世の中をどうこうするなど到底無理な話です。

 

そう考えるとこの大きな力を変えていくという事の困難さは計り知れないですよね。

 

でもどうにかして変えていかないと状況は変わらないどころかもっと一般庶民が生きずらい世になっていってしまいます。

 

現に今この瞬間も生きて行く事にがけっぷちに追い込まれている人もいるわけで・・・

 

そうなる前に個々人の責任でそうならないように手を打てよと言う方もいるかもしれません。

それも正論のように聞こえはします。

 

でも本当にそうでしょうか?

 

例えばですが・・・

お金があれば死ななくて良いと言う人がいたとしたら・・・

 

お金をあげればいいんじゃないでしょうか?

 

「甘い、甘いよお前」ってゆーのが普通ですよね?

 

でもね、それってある考えに縛られているとも言えるんですよね。

 

お金って紙切れなわけじゃないですか。

 

すでに何の裏付けもない紙切れ、そう言うと乱暴ではあるかもしれませんが、基軸通貨であるドルはもう半世紀も前にゴールドに交換できるものではないです。

 

金の保有量が激減したアメリカがとおの昔に金兌換券の地位を放棄しましたよね。

でもどこの国の通貨もその後金兌換券としての通貨とはなっていない。

 

じゃあ何が裏付けかって?

 

例えば日本なら日本国債を発行してそれを財源に紙幣をその分発行している。

日本国債は何が担保なのでしょうか?

 

実は、日本国債にいわゆる「担保」って無いんです。

強いて言えば「国の信用」ですか・・・?

 

無担保債なんですよね、国債って。

 

じゃあ日本国が潰れたらどうなるの?

 

はい、国債のお金は「ゼロ」になります。

 

今ほとんどの「債券」は無担保での発行になってます。

株式会社など民間企業が発行するものを「社債」と言いますね。

地方自治体だと「県債」とか「県民債」、政令指定都市だと「〇〇市債」なんて言ったりします。

 

これらの殆ど全部が「無担保債」なんです。

 

「県債」などは発行体である県が破綻した場合国が補償することになっているようなので一応担保があるようなものですが、その国が破綻してたらやはり却ってきません。

 

とするとですよ・・・

 

じゃあお金って何?ってことになりませんか??

 

だって何も裏付けがない物に価値を付けてみんなでそう扱っているだけなんですよ?

 

「円」という日本のお金

 

日本銀行が発行権を持っていて法律に基づいて紙幣を刷って良いわけですが、そもそも1万円札を刷るのに1枚約22円かかっているようなのですが、その「紙」をお金としてみんなが暗黙の裡に認めているから、1万円と言うお金の価値があるわけです。

 

 

翻って、お金と言うものが無いとするとこの世は何を以て経済を廻すのか?

 

物々交換?

手形?

お米?

貝殻?

 

お金と言う「物」の対価となるものがあるから、いちいちお米百俵と牛10頭を現物でそれぞれ毎回交換しなくても済んでいるわけですよね。

 

そう考えればこれはこれで人間が考えた便利な方法なわけです。

 

しかし何らかの理由でそのお金を発行している国が存続できないとなったら、そのお金を持っている人達はお金をどうするでしょうか?

 

普通なら手放しますよね。

他のもっと価値がハッキリとしている、世に通用するものに替えたいと思いますよね。

 

今のところそういった状態に日本はなっていないので「円」というお金は印刷されている金額の価値を持っている事になっています。

 

しかし今回のコロナによって経済活動が制約を受けざるを得ない状態となった事で、国民の生活を守るためにと政府は給付金などを個人や法人に払う事で国民が破綻しないようにしました。

 

これは国が国民に経済活動をさせないようにしたために収入が絶たれることに対する措置ですよね。

(政策として十分だったかどうかの議論は別ですが。)

 

2021年度の国債発行計画でいくと、発行総額は過去最大で約236兆円となるようです。

そのうち6割が過去に発行した国債の償還に対する借款債、なんです。

 

国はこうして予算で認められればいくらでも国債を発行できます。

別に格付け機関などから格下げを食らおうが関係ないのです。

 

もちろん格付けが下がると信用度が下がるという事なので国債を買いたいと思ってくれる人が減ってしまいます。

ですが、これだけの発行を既にしていても、そして更に今回の様な巨額な発行に至っても国債が嫌われて売りまくられるという事態にはなっていません。

 

ですから世界的にも日本国債はまだ信用されているという事になり、「円」は高水準の信用度が保たれているのですね。

 

こう考えるとちゃんと整合性が取れているように見えますよね。

 

でも実際には借金が多額である事に変わりはありませんし、貧困にあえぐ日本国民が多いこともまた事実です。

 

しかし、今回の様なコロナ禍で国は国民にお金を配りました。

 

お金は配れるのです。

 

まぁいつも税金を払っているのだからこんな時くらい気持ちよく国民に還元して当たり前と言ういい方も出来るのかもしれません(笑)

 

でもこれってなにかおかしいですよね・・・

いや、おかしくないのかもしれませんが、国だけはお金をいくらでも刷れる上に、借金を返済するために借金を重ねても良い事になってますよね。

 

国は信用があるから?

でもそれって国民が働いて稼いでいるからですよね。

 

では、例えば事業に失敗した人はどうなるのでしょうか?

 

借金は事業主にのみ残り、そんな憂き目にあった方でもそれまでは税金は「義務」として払っていたわけですよね。

 

もちろん事業が上手く行かなかった責任は事業主にあるのですが、だからと言って債務を背負う必要はあるのでしょうか?

 

貸主側からしたら、貸したお金を返すのは当然じゃないかという理屈です。

まぁこれまでの常識的考えでは当然の話です。

 

でも借りたお金を返せないからまたお金を刷って借金を返済できている国って何でなんでしょうか?ってなりませんか?

 

借りたお金が返せないのに新たに国債を発行出来たらおかしくないですか?

 

それは国に信用があるからですか?

 

それもおかしいですよね、だって借金返せてないじゃないですか。

 

返せない人には新たな融資はされないのに、国は自己都合でお金が作れて返済している事に出来るって不公平も甚だしいですよね。

 

だったら同じお金なんだから足りなくなったら国が与えればいいじゃないですか。

 

銀行に返す資金が足りないならまた新たに国が事業者や国民に資金を提供し一旦その資金で銀行へ返済すれば良いだけじゃないですか?

 

国と個人は違うって?

 

私は結局は同じなんじゃないかって思うんですよね。

 

だから経済オンチは困るんだって言われるのがおちだって分かっていますが、今は常識的には暴論だと分かっていて話しています・・・

 

だって国は事実上無担保でお金を刷れるんだから、だったら国が民間銀行などに代わって困っている人に資金を融通なり提供すればいいじゃないですか。

 

負債は負債として記録はしておく、だけど銀行や取引先には迷惑は掛からない。

 

そうすれば負債を返済する義務は残るけど、破綻はしなくて済みますよね。

 

国民には融資を受ける時には民間金融機関から融資を受けるようにさせておいて、担保などを出させていますよね。

 

信用創造の手順がそうなっているので仕方ない所ですが、でも信用創造ったって・・・

「だから平たく言えば何も無いのに無担保で作ったお金でしょ」って事です。

 

それに対して貸した借りたで人生をダメにする必要とかあるんですかねって話なんですよね。

 

国は無担保でお金を発行できる。

 

だったら国民もその恩恵を受ける権利がありますよね。

 

と思うんですが、欠陥だらけなんでしょうね、こういう考え方ってね(笑)

 

 

まぁきっかけはこの世の不公平感と、みんなが争わずに適度に働いて、そこそこ快適な生活ができればそれで良いんじゃないかって思った時に、そうなるのですら簡単じゃない世の中では我々の子孫が不憫でならないと思った事ねんですがね。

 

お金を持っている側に有利な考え方が蔓延しているために、持っていない大多数の人がその論理によって思い描く生活が出来ないという事の打開策はないのでしょうか?

 

これも弱肉強食動物でしかない人間のサガなのでしょうかね・・・

 

私たちが出来る事と言えば、やはり他人を虐げてでも自分さえ良ければいいという気持ちを強く持って家族や子孫を護っていく事に正義と幸福感を持つことなのでしょうか。

 

何か間違っているような感覚をもつんですよねぇ・・・

根本的に間違っているような・・・

 

ま、50を過ぎて権力の何一つもない、財力もないオヤジの独り言ってとこなのですが、つくづくお金が沢山あったら良いなぁって思いますよね(笑)

 

お金があったら多分こんな事を考える暇もなく、何かしてるんでしょう(笑)

 

お金がない人に限ってこんなこと考えて時間潰ししているんでしょうね、貴重な人生の時間を無駄に過ごすと言うのはこういう事をいうのかもしれません。

 

だからお金も産まない・・・HAHA

 

 

ただ幸いにも私は今のところ贅沢は出来ませんが、食べて行くにも困るという事も無く、前述しましたように孫が出来る幸せにも恵まれ、両親もいまだ健在です。

 

これ自体を幸せと言わずして何を以て幸せというのかと両親から叱られそうですが、それはそうですが、もう少し広く大きい目で見てみると「あれ、おかしいな」とか「なんかこれって違うんじゃないか」って思える事を多く感じるようになってきたんですね。

 

 

 

まぁあ色々と思う事はまだまだあるんですが、今日のところはこれで勘弁してやろうかと思います(笑)

 

天気が良いわりに風が冷たい休日となりましたが、風邪など引かぬようご自愛いただきながらも晴れの日を健やかにお過ごしください、それでは長文失礼いたしました。